daidoji721の記事一覧

  1. 大道寺小三郎伝 第3章「動乱」4

    自治会活動  昭和21年、大八車を引いて下宿先に引っ越しする小三郎(右端) 自治会活動は授業料改定(値上)を契機に、学校側との闘争を中心とした活動組織に変貌していった。喰うや喰わずの毎日ではあったが、コンパと称してドブロクを酌み交わす友人と過ごす日々は楽しく、瞬く間に時は過ぎ去っ…

  2. 大道寺小三郎伝 第3章「動乱」3

    昭和20年の敗戦   空襲警報は日常茶飯事となった昭和20年の7月、小三郎は1年ぶりで函館の実家に帰省し、友人宅へ遊びに行ってお昼をご馳走になっていた。 そのときだった。いきなり警報が鳴り響いたかと思うやいなや、100機を超えるグラマン戦闘機が函館上空を襲い、バリバリと屋根を打ち抜く機銃…

  3. 大道寺小三郎伝 第3章「動乱」2

    高校1年生の初冬  講堂とその屋根の上から小三郎が撮った岩木山    高校1年生の初冬――。いよいよ本土が空襲を受ける可能性が高まった。 小三郎らの昭和19年入学組には、八戸・島守地区での勤労動員の命が下った。 作業は軍人4、5人に生徒4、5人単位でひと組が構成され、…

  4. 大道寺小三郎伝 第3章「動乱」1

    ミッドウェー海戦以降 現在の弘前大学の場所にあった旧制・弘前高等学校    1942(昭和17)年6月のミッドウェー海戦以降、戦況は次第に深刻な状況に追い込まれていく。 開戦直後は浮かれていたが、アジア全域に拡がった戦線を維持できなくなるばかりか各地で敗退が始まっていった…

  5. 大道寺小三郎伝 第2章「北の大地」5

    旧制函中時代  当時、函館は人口22万人を超え、東北以北では最大の町だった。小学校の最終学年の6年生になり、小三郎は旧制の函館中学の入試を受けたのだが、こともあろうに口頭試問の席で係官の先生と口論となり烈火のごとく怒らせてしまった。そのあげくに小三郎の主張が間違いであったことをあとで知るので…

  6. 大道寺小三郎伝 第2章「北の大地」4

    小学生時代  1933(昭和8)年2月、小三郎が8歳とのきに長井へのお礼として、桑島忠一の長女・恭子(やすこ)が大道寺家へ迎えられ、英語教育を望み、4月には函館・遺愛女学校へと入学した。 翌34(昭和9)年3月21日、強風が吹き荒れる中、函館市内で火災が発生し、死者2,166名、焼損棟数…

  7. 大道寺小三郎伝 第2章「北の大地」3

    ロシア人の親切 愛犬カピ   小市は、ことあるごとにシベリア鉄道の旅で出会ったロシア人の親切を説いた。日本酒を好んだ小市は、晩酌の折にはその様子を具体的に何回も子どもたちに話して聞かせた。また、おやつとしてロシア人からしてもらったイクラや砂糖をかけたパンをあたえた。また、牛乳…

  8. 大道寺小三郎伝 第2章「北の大地」2

    函館市で診療所開設  大道寺病院(昭和15年頃・函館市新川町)   1931(昭和6)年、小三郎が6歳になる前、小市は函館市若松町で診療所を開設した。それは民家を3軒ほど足したようなところで蔵が2つあった。医院裏の蔵の1階はレントゲン室で、自宅を挟んだ裏の蔵は座敷となって…

  9. 大道寺小三郎伝 第2章「北の大地」1

    大道寺小三郎の父開業まもないころの小市(30歳)と志げ(26歳)  大道寺小三郎の父、小市はより先進的な医療の実践にはドイツ留学の必要性を痛感していた。 明治以降、日本の近代化はドイツやフランスを中心としたヨーロッパに倣っていた。 医学界では牛の天然痘を利用し世界初の…

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