daidoji721の記事一覧

  1. 大道寺小三郎伝 第3章「動乱」1

    ミッドウェー海戦以降 現在の弘前大学の場所にあった旧制・弘前高等学校    1942(昭和17)年6月のミッドウェー海戦以降、戦況は次第に深刻な状況に追い込まれていく。 開戦直後は浮かれていたが、アジア全域に拡がった戦線を維持できなくなるばかりか各地で敗退が始まっていった…

  2. 大道寺小三郎伝 第2章「北の大地」5

    旧制函中時代  当時、函館は人口22万人を超え、東北以北では最大の町だった。小学校の最終学年の6年生になり、小三郎は旧制の函館中学の入試を受けたのだが、こともあろうに口頭試問の席で係官の先生と口論となり烈火のごとく怒らせてしまった。そのあげくに小三郎の主張が間違いであったことをあとで知るので…

  3. 大道寺小三郎伝 第2章「北の大地」4

    小学生時代  1933(昭和8)年2月、小三郎が8歳とのきに長井へのお礼として、桑島忠一の長女・恭子(やすこ)が大道寺家へ迎えられ、英語教育を望み、4月には函館・遺愛女学校へと入学した。 翌34(昭和9)年3月21日、強風が吹き荒れる中、函館市内で火災が発生し、死者2,166名、焼損棟数…

  4. 大道寺小三郎伝 第2章「北の大地」3

    ロシア人の親切 愛犬カピ   小市は、ことあるごとにシベリア鉄道の旅で出会ったロシア人の親切を説いた。日本酒を好んだ小市は、晩酌の折にはその様子を具体的に何回も子どもたちに話して聞かせた。また、おやつとしてロシア人からしてもらったイクラや砂糖をかけたパンをあたえた。また、牛乳…

  5. 大道寺小三郎伝 第2章「北の大地」2

    函館市で診療所開設  大道寺病院(昭和15年頃・函館市新川町)   1931(昭和6)年、小三郎が6歳になる前、小市は函館市若松町で診療所を開設した。それは民家を3軒ほど足したようなところで蔵が2つあった。医院裏の蔵の1階はレントゲン室で、自宅を挟んだ裏の蔵は座敷となって…

  6. 大道寺小三郎伝 第2章「北の大地」1

    大道寺小三郎の父開業まもないころの小市(30歳)と志げ(26歳)  大道寺小三郎の父、小市はより先進的な医療の実践にはドイツ留学の必要性を痛感していた。 明治以降、日本の近代化はドイツやフランスを中心としたヨーロッパに倣っていた。 医学界では牛の天然痘を利用し世界初の…

  7. 大道寺小三郎伝第1章「ふたりのロシア」4

    1927(昭和2)年2月  1927(昭和2)年2月――。 北海道静内町からひとりの青年医師がスイス留学へと向かうためシベリア鉄道に乗った。名は大道寺小市。 1917(大正6)年のロシア革命の5年後、1922年にソビエト連邦社会主義共和国が成立したが、食料をはじめ物資が不足し混乱…

  8. 大道寺小三郎伝第1章「ふたりのロシア」3

    S支店長に番が回ってきた ソ連アカデミーシベリア支部 湖沼研究所来青記念式典(右から2番目、菊池武正氏/1991年)  そして、S支店長に番が回ってきたときだった。「およそでありますが、国家レベルの100分の1だと把握しています」 大道寺の口元が一瞬弛んだ。…

  9. 大道寺小三郎伝第1章「ふたりのロシア」2

    センター長が挨拶  第一回ソ連経済視察の懇親会(1990年) つづいてセンター長が挨拶に立った。「このビジネスセンターを軸に自由経済の門戸が開くことを堅く信じています。貴国がこのセンター開設を機にさらに発展され、経済的また何より友好的交流が前進するものと期待しておりま…

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