daidoji721の記事一覧

  1. 大道寺小三郎伝 第2章「北の大地」2

    函館市で診療所開設  大道寺病院(昭和15年頃・函館市新川町)   1931(昭和6)年、小三郎が6歳になる前、小市は函館市若松町で診療所を開設した。それは民家を3軒ほど足したようなところで蔵が2つあった。医院裏の蔵の1階はレントゲン室で、自宅を挟んだ裏の蔵は座敷となって…

  2. 大道寺小三郎伝 第2章「北の大地」1

    大道寺小三郎の父開業まもないころの小市(30歳)と志げ(26歳)  大道寺小三郎の父、小市はより先進的な医療の実践にはドイツ留学の必要性を痛感していた。 明治以降、日本の近代化はドイツやフランスを中心としたヨーロッパに倣っていた。 医学界では牛の天然痘を利用し世界初の…

  3. 大道寺小三郎伝第1章「ふたりのロシア」4

    1927(昭和2)年2月  1927(昭和2)年2月――。 北海道静内町からひとりの青年医師がスイス留学へと向かうためシベリア鉄道に乗った。名は大道寺小市。 1917(大正6)年のロシア革命の5年後、1922年にソビエト連邦社会主義共和国が成立したが、食料をはじめ物資が不足し混乱…

  4. 大道寺小三郎伝第1章「ふたりのロシア」3

    S支店長に番が回ってきた ソ連アカデミーシベリア支部 湖沼研究所来青記念式典(右から2番目、菊池武正氏/1991年)  そして、S支店長に番が回ってきたときだった。「およそでありますが、国家レベルの100分の1だと把握しています」 大道寺の口元が一瞬弛んだ。…

  5. 大道寺小三郎伝第1章「ふたりのロシア」2

    センター長が挨拶  第一回ソ連経済視察の懇親会(1990年) つづいてセンター長が挨拶に立った。「このビジネスセンターを軸に自由経済の門戸が開くことを堅く信じています。貴国がこのセンター開設を機にさらに発展され、経済的また何より友好的交流が前進するものと期待しておりま…

  6. 大道寺小三郎伝第1章「ふたりのロシア」1

    鉛色の雲間からサハリン博物館(旧・樺太庁/ユジノサハリンスク市) 鉛色の雲間から、わずかに差し込 んだ陽光にありがたさを覚えるほど、暗く灰色の日々がつづいていた。 「いまちょうど12時だ。そのままずうっと上にあげて。そうそう、周辺と一緒にあの太陽も撮って」 大…

  7. 大道寺小三郎伝

    「どうしていいか、分からない時こそ、チャンスなんだ」激動の時代を切り拓いた大道寺小三郎の生涯を伝えるストーリー。 【目次】 1.ふたりのロシア  1-1 鉛色の雲間から 1-2 センター長が挨拶 1-3 S支店長に番が回ってきた 1-4 1927(昭和2)年2月…

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