第3回 大道寺会平成22年(2010年)7月21日(水) -ワインラベル- 当日の写真アルバムはこちら…
第2回 大道寺会平成21年(2009年)7月21日(火) -ワインラベル- 当日の写真アルバムはこちら…
第1回 大道寺会平成20年(2008年)7月21日(月) -ワインラベル- 当日の写真アルバムはこちら…
故大道寺小三郎氏 メモリアルパーティー平成19年(2007年)7月21日(土)弘前パークホテル4階「ラ・メェラ」にて -次第--ワインラベル-当日の写真アルバムはこちら…
極東ロシア~死去 大道寺小三郎は滅びゆく和船とその建造の技術を後世に伝えようと、地元周辺はもとより世界中から船を集めていた。文部省がそのコレクションの貴重価値を認めたことから、「(財)みちのく北方漁船博物館/現・船の科学館(青森市)」が誕生した。その集大成である国内最大級の北前型弁才船…
みちのく銀行誕生 1966(昭和41)年、函館の大道寺病院を継いだ小次郎が48歳で亡くなり、その後まもなく義兄の杉本信夫も急死したため翌年に閉院となった。 1970(昭和45)年、大阪で万国博覧会の開催が決まったころ、大道寺は着実に業務をこなし手腕を振るって業務部長になっていた。取引先…
物上代位 弘前相互銀行時代(手前中央は唐牛敏世、後ろで立っているのが大道寺) 大道寺の弘前高校時代の身元引受人でもあった唐牛との縁は、その後もつづくことになったが、本人は嫌々業務をこなしていた。半年もしないうちに、唐牛の命により主任に昇格してすぐのことであった。 北海道の根…
弘前相互銀行 1959(昭和34)年 大道寺小三郎の結婚式での唐牛敏世と、母の大道寺志げ(弘前相互銀行倶楽部/現・藤田記念庭園) 大道寺小三郎にとっては、気のすすまないまま弘前相互銀行の管理課に配属されて8カ月が過ぎようとしていた。 同銀行は前身であった「弘前無尽会社」のと…
高田屋嘉兵衛 昭和33年に建立された高田屋嘉兵衛像(函館市) そんな失意のなかにあったある日、本屋で科学雑誌を立ち読みしていると、鉄に代わる新素材として鉄より固く強いというチタンが注目されおり、最新鋭の戦闘機などに使われ、砂鉄に多く含まれているという記事を見た。 戦後10年…