大道寺小三郎伝第1章「ふたりのロシア」3

S支店長に番が回ってきた
 


ソ連アカデミーシベリア支部 湖沼研究所来青記念式典
(右から2番目、菊池武正氏/1991年)

 そして、S支店長に番が回ってきたときだった。
「およそでありますが、国家レベルの100分の1だと把握しています」
 大道寺の口元が一瞬弛んだ。
「おっ、そうか。バブルはいずれはじける。人々は不安におののくだろう。いうまでもなく本県の産業構造は旧態依然として、基幹となる分野は少ないし脆弱なことに変わりはない。ただ見方を変えればダメージは都市部よりは少なくてすむ。そして不安の矛先を安心に変えるようなことを経済人、とくに地銀は心しなければならない。近い将来、人口においては国全体が減少し、とりわけ産業基盤の脆弱な本県の人口減少は著しく、そのなかで中小企業が生き抜くためにはどうしたらいいのか。それはわが銀行も同じであって、活路を外へ見いださない限り縮小の一途をたどる。よって、歴史的つながりの深い近隣諸国、とりわけ日本海を挟み今後大きく経済成長が見込める国々への進出が不可欠となろう。誰もがやらないことをする。そこに仕事の真価、価値というものがある、そうだろう。支店長は頭取の表見代理だという気概を持って仕事をしてもらいたい。どうしいいかわからないときこそ、チャンスなんだ」
 そう締めくくり、ようやく着座した。
 本州最北端にある地方銀行の常識をはるかに超えたボーダレス経済戦略の幕開けだった。組織としての最大の眼目は、みちのく銀行の現地法人設立、定期航空路の開設にともなう経済、医療、文化、スポーツなどあらゆる分野での日ロ交流の推進であった。しかしそれは、エネルギー資源への巨額の投資や資金に関わる都市銀行などのメガバンクと肩を並べることではなかった。
 その年の6月、弘南バス6代目社長菊池武正を会長にロシア連邦、とくに極東区域との交流推進、相互理解と親善に資する事業を行う目的で青森県日ロ交流協会が設立され仕掛け人である大道寺は副会長に就いた。
 1990年から始まったロシアへの献身的行為は、瞬く間に極東ロシアの人々に広まっていった。そのきっかけは大道寺が本格的な視察に訪れたハバロフスクの広場でのことだった。おばあさんがしなびて色のよくない何かのタネを売っていたので、ついハトの餌と思い購入してすぐにばらまきはじめたときだった。
 
「やめなさい、なにをするの! アタマはたしかなの?これは人間が食べる大切なトウモロコシの種なの」
 言葉は通じなかったが、身振り手振りから容易に想像できた。遠い昔、父を助けてくれたあの心豊かな国の人々があえいでいた。
 物がなかった。あったとしもそれは日本の物とは比べようもないほど劣っていた。医療現場では注射器すら不足し、すべての機械は老朽化していた。
 
 その一方で、バレエや絵画、音楽など芸術に対する姿勢は日本人とは素地が違っていた。どんなに貧しくとも、人々は幼いころから数多くの民話が色彩豊かな絵本を通じて語り継がれ、人が集まれば歌を唄い、芸術が生活にとけ込んでいた。
 ロシア人は出会った当初はとっつきにくいが、いったん付き合うととことん心を開く。どんなに困窮していても、旅人を迎え入れたときにはその日ありったけのごちそうを振る舞うあたりが津軽人の気質に似ていると大道寺は思った。
 半世紀を過ぎたいまも、父が語ってくれた心根のやさしい国の本質は失われてはいなかった。自分のため、銀行のため、地域の未来のためにできうることは何でもしようと大道寺は決意した。


配布したトウモロコシの生育を視察(1992年、ハバロフスク郊外にて)

 その後すぐに、大道寺は「サカタのタネ」の協力を得て1991年に第1回のトウモロコシの種子4000キログラムを街頭で配布したのを皮切りに、ニンジン、ダイコンなどの野菜、サルビア、コスモスなどの花の種やグラジオラスの球根と拡大していった。つづいて家庭で眠っている中古ピアノが贈られた。その話題がテレビ番組で放送された直後から、全国からの申し出があり、メンテナンス後に寄贈者の名を入れたピアノが船積みされていった。寄贈先からは感謝の手紙と写真が添えられて各家庭に届いた。


種の配布(1993年、ハバロフスク市内)

 医療交流は弘前大学医学部を中心に、視察団を組織派遣し、ロシア側からも同大学医学部に研修医を招聘し、最新の医療システムと医療機器の取り扱い方を学んでいった。CTスキャンを贈る際も、不安定な電圧にも耐えるよう細心の心遣いを忘れなかった。また、極東ロシアでは設備や技術的に不可能な子どもの手術に特別便を飛ばしてまで対応した。
 1995(平成7)年、念願の青森とハバロフスク間の定期便が就航してからは、各種ツアーをはじめ、経済人の行き来とともに夏休みには少年少女の交流も活発化してゆく。
 
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