大道寺小三郎伝
目次
1.ふたりのロシア
  鉛色の雲間から
  センター長が挨拶
  S支店長に番が回ってきた
  1927(昭和2)年2月
2.北の大地
  大道寺小三郎の父
  函館市で診療所開設
  ロシア人の親切
  小学生時代
  旧制函中時代
3.動乱
  ミッドウェー海戦以降
  高校1年生の初冬
  昭和20年の敗戦
  自治会活動
4.彷惶
  戦争の傷跡
  司法試験
  北洋博覧会
  洞爺丸
  高田屋嘉兵衛
5.種をまく人
  弘前相互銀行
  物上代位
  みちのく銀行誕生
  極東ロシア〜死去
 
1.ふたりのロシア 1927(昭和2)年2月
1927(昭和2)年2月――。
北海道静内町からひとりの青年医師がスイス留学へと向かうためシベリア鉄道に乗った。名は大道寺小市。
1917(大正6)年のロシア革命の5年後、1922年にソビエト連邦社会主義共和国が成立したが、食料をはじめ物資が不足し混乱は人々の暮らしに影を落としていた。往路は敦賀からウラジオストークへ船で渡り、鉄道に乗ってベルンを目指した。車窓から見るシベリアの原野は果てしなくつづく草原風景以外にはなにもなかった。
前後の車輌を見渡す限り日本人は小市だけで、やがて疲労と空腹に耐えながら異国を旅する不安にかられていった。

当時、ヨーロッパへ行くにはいくつかのルートがあり、船旅では4週間以上、大陸を経由してスイスへと行くには最短でも約2週間を要した。
真冬のシベリア鉄道は悪天候による事故などでしばしばダイヤが乱れ、小市の乗った列車も主要都市では長い時間の停車を余儀なくされた。
そんな車中にあって、向かいに座った中年のロシア人夫婦が荷物から黒いパンを取り出したときだった。
どちらともなく軽く微笑み合い、小市は目を瞑った。
まもなく小市は膝を軽く叩かれて目を開いた。すると、目の前に黒パンを千切って大きい方が目の前に差し出されたのである。
遠慮する小市に、ロシア人夫婦は気にするなと身振り手振りですすめた。
貴重な食料を見ず知らずの日本人に分けあたえてくれたロシア人……。
ずっしりと重い黒パンは噛むほどに味わいがあった。このシーンは生涯、小市の胸に深く刻まれ、子どもたちへと語り継がれてゆくのであった。
翌3月には中小銀行が破綻したのを口火に各銀行が休業や廃業となり、日本では昭和の金融恐慌がはじまった。
・・・第2話に続く
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